私が開院した理由
【少年時代】
私は3歳から水泳を習いはじめ、カラダを動かすのが大好きで、毎日のように日が暮れるまで外で遊ぶ活発な子供でした。
小学校でも休み時間ギリギリまで友達とボールなどで遊んでいるような少年で、勉強は嫌いではなかったですが通知表には「じっとしてられない」と書いてありました(笑)
放課後や下校中に、よく歌ったり縦笛を持ち歩き吹いていたりと、音楽もすごく好きだったのを覚えています。
この頃から、よく親に『姿勢よくしなさい!』と言われたり、学校の先生にも『背中を伸ばして!』と猫背を注意された記憶があります。
【青春時代】
中学校からは兄の影響でサッカー部に入りましたが、朝練や休日の試合や大会も全く苦にならず、仲間と一緒にボールを追いかけるのが楽しかったので、もちろん高校でも部活動を続けて青春時代を過ごしました。
ケガや腰痛に…
サッカーではゴール前で激しく競り合うFW(フォワード)のポジションだったせいもあってか、捻挫・脱臼・骨折などのケガや腰の痛みに悩まされました。
せっかく頑張ってレギュラーになってもケガで試合に出れなかったり、腰痛をこらえながら無理に練習することもあり、好きなサッカーを全力で出来ない悔しさを味わいました。
不完全燃焼
早く治すため病院の整形外科や接骨院に通っても腰痛は治らず…痛み止め薬を飲んだり湿布やテーピングで誤魔化していましたが、結局そのまま最後まで不完全燃焼で終わってしまいました。
部活を引退してからは、受験勉強をしたり運動する機会が減ったせいか、卒業後は肩こりにもなって、ひどい時は頭痛まで出てしまう状態に…
カイロプラクティックとの出会い
そんな状況で困っていたら、アルバイトの先輩に『1度カイロとか試しに受けてみれば?』と紹介され、半信半疑で「カイロプラクティック」の治療を初めて受けてみました。
すると…
鎮痛剤が効かなかった頭痛が消えて、衝撃を受けました!
その頭痛だけでなく私の腰痛や肩こりは猫背の「姿勢」が1番の原因で、背骨が曲がって筋肉がこったり神経や血液の流れが悪くなっているせいだと先生に言われました。
猫背が原因!?
それからは治療に通いながら猫背を治す方法を教わり、どんどん体調が良くなっていくのが実感出来ました。
その結果、肩こりや頭痛はもちろんの事、あれだけ長年悩まされ続けた腰痛までもなくなったんです!
・今まで悩んでいたのは何だったんだろう?
・もっと早く本当の原因が分かっていれば・・・
そんな思いを抱きつつも、薬や手術に頼らず痛みが取れた「カイロプラクティック」という治療技術に驚き、痛みの原因であった猫背の「姿勢」を治す事で、ずっと悩んでいた症状が根本から改善できて、本当に嬉しくて感動しました。
夢を…
体調がすっかり良くなってからは通院もしなくなり、いつしかサッカーをする傍ら、中学校から打ち込んでいたバンド活動をきっかけに、歌を仕事にしたいと思うようになりました。
アーティストや芸術の世界は厳しいと思っていましたが、背中を押してくれる仲間のありがたい応援や、1度きりの人生だから挑戦してみたいという想いで「歌手」を目指しました。
当初は華々しい夢の世界へ向かって想いや情熱で動けていたものの、数年がたって当たり前のように自分の思い通りには道が開けない現実にぶつかり、それとは反対に周囲で期待してくれる人もいたり・・・
自ら追い求めたはずの夢なのに、それが重荷となって歌う事自体も楽しめなくなってしまい、自分の才能に限界も感じて挫折し、残念ながら道半ばで夢を諦めました。
自分探し
ずっと歌手という夢があったので、そこを無くして人生設計を考え直すには時間がかかりましたが、自分に何が出来るんだろう?何が向いてるんだろう?と自問自答して、ひたすら自分自身を見つめ直しました。
それまでの人生を振り返ると、よく友達から悩みを打ち明けられたり相談される経験が多く、そうやって話を聞いたり頼られるのが全然苦になりませんでした。
むしろ信頼されてるのが誇らしくもあり、背中を押して勇気づけたり前向きに行動してくれて、いい結果になったりするのが自分事のように心底嬉しいと思っていました。
そんな自分の本質に気付けたので、
・人と関わる仕事をしたい
・人の役に立ち喜ばれる仕事をしたい
・困ってる人の悩みに寄り添いたい
という想いが沸き上がり、職選びの雑誌を見て当てはまる仕事を探しはじめました。
新たな夢へ
その中に「カイロプラクティック」という仕事が載っていて、すっかり元気になって忘れていた、自分のつらかった人生を変えてくれた、あの感動を再び思い出しました。
当時はカイロの先生になろうなんて微塵も考えてませんでしたが、歌手を目指しフリーター生活をしてた頃に、職人さんの仕事をたくさん経験して手に職を付ける技術職に親近感もあったので
・人と触れ合って深く関われる
・人の役に立ち喜ばれる
・困ってる人の悩みに寄り添える
・心だけでなく体の悩みにも応えられる
この「カイロプラクティック」なら、自分の腕1本で困ってる人の役に立てて喜ばれるだけでなく、心や体の悩みにまで応えられる自分にピッタリな理想の仕事なのでは?
そして「カイロプラクティック」の技術を習得して「姿勢」の大切さを教えられるようになれば、自分と同じようにケガや腰痛・肩こりなどで悩む人を救えるのでは?
やりたい事が出来なくて悩んでいたり、あきらめかけている1人でも多くの人に手を差し伸べたい!と想い、新たにやりがいのある夢に挑戦する決意をしました。
予想外の出来事!
私はカイロプラクティックの専門学校へ入学を決めたものの、まとまった貯金がなかったので父親に学費を貸してもらえないか?と相談したところ…
『わかった、ところで俺と一緒にやる気あるか?』と言われ、意味がわからないまま、貸してくれるならと…
深く考えずに『ん? 別に、いいけど…???』と言ったら…
なんと一週間後に『会社辞めるから』と父親が辞表届を出し、脱サラしてしまいました。。。
【学生時代】
そんなこんなで後にはひけない状況、バブル時代絶頂期に買った実家のローンの支払いや生活費を、父親の早期退職金と私のバイト代でやりくりする学生時代に突入!
と同時に予期していなかった、まさかの「父親と同級生」に・・
一緒といっても私は主に昼間はバイトを掛け持ちして学費の足しにと夜間部へ通い、父親は昼間部に2年間通いました。
ですが私は高校卒業後は音楽の道へ進み、父親は大学卒業後から生命保険会社のサラリーマンだったので、ゼロからの医学知識はハードルが高く、難しい医学用語やカイロプラクティックの高度な技術を覚えるのは正直大変でした。
【修行時代】
やはり一番苦労し、今の原点となり支えになっているのが修業時代です。
私は学生の頃に、東京都品川区で学校附属直営治療院の院長先生に直接声を掛けてもらい、運よくスタッフとして働きながら修業させていただきました。
現場で実際に目の前の患者さんを相手にすると、緊張や経験不足でうまくいかない事もたくさんありましたが、その度に叱咤激励していただきました。
また「カイロプラクティック」の本場であるアメリカの大学に〔人体解剖実習〕にも行かせていただき、貴重な経験を得ることも出来ました
この時期は「カイロプラクティック」という仕事を通じ、苦労して大変だったという思いだけでなく、人と深く関わり喜んでもらえる実体験をたくさん積めたので、毎日やりがいを感じる事ができて充実していました。
院長先生も自分の努力を認めて信頼してくれ、副院長という役職まで任せてもらえる程に成長させてくださいました。
あの時がなければ今の自分はあり得ないので、本当に感謝の思いしかありません。
【地元で開業】
同級生だった父親は先輩の治療院で技術指導を仰ぎ、卒業後すぐに開院すると決意していました。
すでに治療院で働いて現場対応の厳しさを感じていた自分には、現場経験のない父親が1人で独立開業しても成功するとは思えませんでした
本音では東京でもっと修行して経験を積みたかったですが、どうしても家族を放っておくことは出来ず…同僚や仲間は引き止めてくれましたが理解してもらい、修行時代を早々に終えて親子で地元の岩槻で治療院を2005年に開院しました。
親子経営
同級生ではありますが、年齢や社会経験からも父親がもちろん院長、私が副院長という立場になりました。
親子での開業なので正直いろいろとありましたが、「患者さんのために」という想いは一緒だったので、お互いの意見がぶつかる時もありましたが、地域でも徐々に認知され信頼を得ていき、患者さんも増えて経営も着実に安定していきました。
方向性の違い
まだまだ学び足りない事ばかりですが、日々お悩みを抱えて来られる様々な症状に対応する為、必要となる知識の習得や技術の修練を卒業後も怠りませんでした。
院内に飾られている資格や修了証の賞状はその一部ですが、休日でも練習やセミナーに行って勉強をし続けてきました
また、全国の治療家達と情報交換をしたり、地域でも異業種交流を積極的に行い、自己研鑽に努めました。
そうやって過ごしていくうちに親子で追及するものが少しずつ違ってきて、私は「妊活」・「マタニティ」・「産後」・「小児」ケア等にも幅を広げていったので、父親と私で対応できるメニューや技術も変わっていってしまいました。
それに伴い「お子様連れでの来院」・「院内設備やサービス」「駅から遠い立地」・「2人の方向性の違い」などの問題点にも思い悩む日々が増えていきました。
またもや転機が
そんななか尊敬している治療家仲間達から『いつまでお父さんと一緒にやるの?』・『東京にもう1度戻って独立して勝負しよう!』・『絶対大丈夫だから!!!』と熱い激励を受け、今まで胸の奥底にしまい込んでいた感情に火が点きました。
本当に自分がやりたい事ができる治療環境を整備して、院長になって理想のサービスを提供できる治療院を1から作りあげよう!
と、治療家人生をかけて本気で勝負する事に決めました。
東京に進出!?
この頃は東京進出を視野に、埼玉から近い都心の「池袋」で物件を探し始めました。
しかしながら実際に池袋に開院した場合の事を想像すると、メリットだけでなく
・今まで担当していた患者さんがほとんど通えなくなる
・今まで深く繋がっていた地域の方々と離れてしまう
というデメリットもあったので、再検討しました。
大宮に決定!
東京まで行かない一番近い都市といえば「大宮」でした。
大宮という街には昔からよく来ていて馴染みもあって好きでしたし、大宮駅は路線がたくさん通っていてアクセスも抜群です。
大宮駅近くに治療院を構えれば、妊婦さんでもベビーカーやお子様連れでも駅から歩いて来れるし、遠方に住む患者さんも来院しやすく、1人でも多くの困っている人に手を差し伸べるために挙げていた全ての条件をクリア出来るので、最終的に大宮の地に決めました。
【独立開院】
同じさいたま市内の岩槻で12年間お世話になりましたが、たくさんのご縁をいただき多方面の皆様方の多大なる支えのおかげで、2017年11月22日に無事に〈VIDAカイロプラクティック大宮整体院〉を独立開院することが出来ました。
※「VIDA」とはスペイン語で「命・人生」を意味し、「命」と真剣に向き合って、症状だけでなく「人生」に寄り添う気持ちで施術していきたいという想いを込めています
開院当初は大変な時期もありましたが、たくさんの患者さんの笑顔に支えられ、毎日に感謝しながら楽しく施術させていただいています。
理念や想い
《あなたの理想の未来を守る治療院》である事を理念として、そのために全力でサポートする事が治療家としての私の使命だと考えています。
これからも1人でも多くの地域のみなさまの健康増進に貢献できるよう、「カイロプラクティック」や「姿勢」の大切さを伝えていきます。
お悩みの症状が改善されて感謝の言葉をいただく時が、治療家になって本当に良かったと心から思える瞬間ですし、本当に嬉しくて自分も笑顔になれます。
この仕事を志して大宮で〈VIDAカイロプラクティック大宮整体院〉を開院した初心を忘れず、今後も変わらぬ想いでおひとりおひとりに寄り添っていきます。
長文にも関わらず、最期までお読みいただきありがとうございました。